『ぶん★文★ぶん』

『ぶん★文★ぶん』

息子のような大親友★ちゃかえ★の死・・・あまりにも若くてかわいそうで・・・ 2005/11/26/(Sat)

 
今年(2005年)になり、★ちゃかえ★がいつも咳をしているので、とても心配で、病院に行ってドクターに診てもらったほうが良いよって何度も言いました。
★ちゃかえ★の仕事は空輸関係の仕事で、海外出張も多く、今年に入ってからは中部国際空港への事務所の移転などで本当に忙しくしていました。空港が開港して、通勤が大変になったので、名古屋市内のマンションに一人暮らしを始めたのが3月。そして、空港勤務して3日目のことでした。
高熱とともに、会社にもいけないということで、病院に行ったようです。最初はマンション近くの内科のドクターに見てもらい、レントゲンの結果、肺炎と診断され、実家近くの総合病院に紹介状を書いていただきました。
そして、総合病院で診察を受けた日から入院。
それから2ヶ月を地元の病院で過ごしました。★まっと★は毎日彼の病院に顔を出しに行きました。たとえ10分でも顔を見に行きました。最近の病院って、タバコがすえないので外の喫煙所まで一緒に散歩がてらあるいたり、院内の喫茶室でお茶したり。
しかし、二ヶ月の間に様態がどんどんと悪化。ひどい高熱と頭痛を訴えるようになり、それでも、薬で熱がおさまると、タバコを吸いたいといいだし、5回の病室から一回玄関外の喫煙所まで行くというんです。
しかし、実際問題、もう院内の廊下を歩いたり、エレベーターに乗るのも休憩しながらの状態だったんです。それでもタバコを吸いたいと言う★ちゃかえ★に付き合って、★まっと★も一緒に歩きました。
意地悪なウィルスが脳にまで及んでいたんですね。
そして、毎日会うたびに管が増え、機械につながれ、見ているだけでもこちらのほうがつらなくなる状態でした。
白血球の数が足りないとの事で、ドクターより国立名古屋病院への転院を進められ、国立病院に入院したのが5月のことでした。
それからも毎日のように★ちゃかえ★の病院に通いました。
脳のウィルスを追い出すために頭を開いての手術が施されることになりました。この手術の執刀医は★まっと★の教え子★ゆみちゃん★のご主人だったのも奇遇でなりません。
手術日程が決まるまでにはあまり時間はかかりませんでしたが、その間、どんどん症状が悪化しているのは見てわかりました。でも、手術前日にどうしてもパスタが食べたいというのです。院内のレストランに連れて行きました。★まっと★はおなかがすいていなかったので、コーヒーのみ。★ちゃかえ★はぺろっと大盛りのあんかけパスタを平らげました。いろいろなことを★ちゃかえ★が★まっと★に話しかけるのですが、食べながら話をするし、『行儀が悪いぞ!』って叱っちゃいました。そして、実際には呂律が回っていなかったので、彼が話していることもあまり聞き取れなかったのが事実なのです。でも、それが彼と一緒に歩いた最後になるとは思っても見ませんでした。

そして手術当日、手術前に病院に駆けつけました。そうしたら、★ちゃかえ★は★まっと★の顔を見ると痙攣を起こし始めて、もう、★まっと★は悲しくて。。。。
前日はパスタの大盛りを平らげた★ちゃかえ★が一変して痙攣を起こしながら苦しそうにしていて、、、
★まっと★の顔を見ると喜びすぎて興奮状態に陥り、発作が出るのだといわれました。

翌日、とても恐かったのですが、病院に彼の顔を見に行きました。★ちゃかえ★は★まっと★のことを『チャカちゃん』って呼ぶんです。頭に包帯を巻いていたので、とても痛々しそうに見えましたが、『チャカちゃん、今度カレー食べにいこうね。浅間町の近くに美味しいカレーを出してくれる喫茶店があるんだよ。』って言うんです。
『いいよ。外出できるようになったら俺の車にのせていってやるよ!』って★まっと★は言いました。
この日はオフだったので★まっと★は新しいショートパンツをはいていたんです。
『★ちゃかえ★、このショートパンツ1500円だったんだよ!』★まっと★がこういうと、
★ちゃかえ★は『安いジャン!』
これが、奴が話してくれた最後の言葉です。最後の声でした。

そして、翌日、、、、、
★ちゃかえ★はもう話すことも出来なくなっていました。でも、まだ、意識ははっきりしていました。顔を見ると.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪って笑ってくれたり、『帰るよ!』っていうと、腕は上がらないのですが、手を振ってくれたり・・・・このころから放射線治療が始まりました。これから髪が抜けるらしい・・・・
病院に通うたびに、枕に髪が落ちているのがわかりました。
でも、見た目はまだまだ普通の★ちゃかえ★でした。

6月の★トゥレブル・クレフ★の演奏会当日。なかなか★えりりん★も★ちゃかえ★の顔を見ることが出来なかったので、リハーサルの途中を抜け出して★えりりん★と一緒に★ちゃかえ★の顔を見に行きました。
★えりりん★の顔を見て.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪って笑った★ちゃかえ★。とてもよい笑顔でした。
これが彼の笑顔を見た最後だったかもしれません。


丁度この頃から★まっと★の夏のツアーが始まり、★まっと★は★ちゃかえ★の病院にも毎日は通えなくなっていました。そして、彼の御誕生日7月15日。34回目の誕生日です。
★カレン★からのことづけものや★はなちゃん★からのことづけもの、そして、★ちゃかえ★が大好きなドナルド・ダックのぬいぐるみやかっこいいパジャマなど両手荷物一杯で持ちきれないほどのプレゼントを抱えて、★ちゃかえ★の顔を見に行きました。
このときはもう意識がオンであったり、オフであったり・・・・。でも、きっと元気になるって信じていました。
この日、じーーーっと★ちゃかえ★の顔を見ていたら、★ちゃかえ★のお父様に声をかけられて、お見舞いも控えてほしいといわれました。確かに自分の都合と勝手な気持だけ、そして自分の思いだけで★ちゃかえ★の顔を毎日見に出かけていたのは、ご家族にとっては迷惑だったのかもしれません。
また、これから放射線治療で髪の毛もなくなってしまう★ちゃかえ★をお父様は見られたくなかったのかな・・
★まっと★にはわかりません。
お母様が『福山さん、ごめんなさいね。おとうさん、どうしておとうさんあんなことをいったのかしら。わたしも驚いてしまったわ。』って声をかけてくださいました。
そして病院を後にしたのです。
★ちゃかえ★の34回目の誕生日、2005年7月15日で★ちゃかえ★の顔を見に行くのをやめました。
それから一度も顔を見に行くことをしませんでした。この日まで★ちゃかえ★の様子は毎日★まっと★の日記に
書き記していましたが、この日にそれまでの彼に関する過去ログを消去し、その日以来、★ちゃかえ★のことは★まっとらんど★では一切語らないことにしたのです。

数日後、お母様から電話を頂きました。『栄は少しずつ元気になっているように見えますよ。』とのこと。
それから二回ほどお母様から現状報告のようなお電話を頂戴しましたが、8月になってからはそんな電話も途絶えました。ただ、8月に二回(7日、28日)、9月に一回(3日)、★ちゃかえ★から★まっと★の携帯電話に電話が入りました。無言。
毎回、すぐにかけなおしすのですが、出なかったです。一回だけ出ました。でも、やはり無言・・
それから二ヶ月ほど、★まっと★は25周年のツアーもあり、また、秋のシリーズも10月にははじまり、鹿児島、名古屋、東京、札幌と飛び回っていました。10月31日、★ちゃかえ★から、★まっと★の携帯に空メール。
よく11月1日にももう一通の空メール。

★ちゃかえ★の顔を見なくなって4ヶ月あまり、★まっと★は毎日★ちゃかえ★の携帯に電話をしました。病院内なので、勿論いつも電源はオフになっているのでしょうね。でも、留守電につながって一安心。留守電につながるということは、まだ、携帯電話が生きているということ。契約が切れていないということ。即ち、★ちゃかえ★が生きているということ。それがうれしかったです。
別に毎日留守電にメッセージを残すわけではないのですが、たまに留守電に季節の話やコンサートの報告などを残していました。

そして、11月23日の勤労感謝の日。『寒くなってきたよ。病室の窓からも冬の空が見えるよね。元気にしてるかな?』ってメッセージを残しました。
この日、不思議なことに、★カレン★と買い物に出かけたのですが、★まっと★が探していたGパンを求めて★カレン★と車を走らせていました。気がついたら、★ちゃかえ★の実家の近くに来ていました。だいたい★まっと★は方向音痴だし、★まっと★の車にはナビも付いていません。ただ、車を走らせてあっちに行ってみよう、こっちに行ってみよう、、、そして、たどり着いたのが、★ちゃかえ★の実家の街だったんです。昨年、★ちゃかえ★がパリから帰国するときに、当時の名古屋空港に迎えに行き、★ちゃかえ★と一緒に走った道に出てきたので、『★カレン★、ここは★ちゃかえ★と一緒に来たことがあるよ!』っていったら、★カレン★が『そういえば★ちゃかえ★どうしてるんだろうねぇ・・・。最近はメールや電話あるの?』ってたずねたので、『ここのところないねぇ・・・。』って★まっと★は答えました。★ちゃかえ★の実家の町のすぐ近くでほしかったGパンを手に入れ、帰宅。帰宅して★まっとらんど★を開き、レスをしていたら、自宅の電話が鳴りました。
★ちゃかえ★のお母様からでした。『栄が危篤なんです。福山さん、こんな時間ですが、会いにきてやってくださいますか?』★まっと★は飛んでいきました。★ちゃかえ★は治療の所為か、髪もなく、眉もなく痰がつまり非常に苦しそうでしたが、必死で呼吸していました。イケメンの★ちゃかえ★の変わり果てた姿に驚いたものの、必死で呼吸する★ちゃかえ★はとっても男らしくかっこよかったです。意識もほとんどないのでしょうが、★まっと★は声をかけました。どこを見ているのかわからないのですが、★ちゃかえ★は目も開いていました。『栄、目を閉じるなよ。』★まっと★がそういうと、お母様がそれまで握っていた★ちゃかえ★の手を★まっと★に差し出してくれました。★まっと★は★ちゃかえ★の手をしっかりと握って、何度も声をかけましたが、握り返してはくれませんでした。でも、そのとき、★ちゃかえ★がひざを立てたんです。『ほーら、福山さんだよ、さーちゃん、一番会いたかった福山さんだよ。わかるんだねぇ。やっぱり。。。福山さんがきてくれてよかったねぇ。。。さーちゃん、ごめんね。さーちゃんに叱られると思ったけど、福山さんにお願いして来ていただいたんだよ。ごめんね。』って、栄の肩を撫でながらお母様泣き崩れられたのが辛かった。

★ちゃかえ★の調子がいいときにお母様が『そろそろ福山さんにきていただこうか?』って★ちゃかえ★に聞くと、★ちゃかえ★は横に首を振っていたそうです。『栄が一番会いたいのは親の私たちではなく、福山さんなんですよ。でも、もっともっと元気になってから福山さんに自分でメールか電話で連絡するつもりだったんですよ。』って、お母様がおっしゃいました。
11月23日は勤労感謝の日でFAME★まっとらんど★も休業だったので、★まっと★は一日あいてました。しかし、翌日は★まっと★も朝から看護学校での講義。★ちゃかえ★のお母様が、『福山さん、ありがとうございました。明日はお仕事ですよね。どうぞお帰りください。こんな時間にお呼びたてしちゃって、本当にごめんなさいね。』本当は★まっと★もずっと★ちゃかえ★の側に居てあげたかったのですが、確かに仕事人間の★ちゃかえ★。きっと★まっと★にも『ちゃんと明日仕事するんだよ!』って言ってるような気もしました。また、実はこの時点で呼ばれていたのが★まっと★以外は皆さんご親族の方たちだったので、なんとなくお医者様からの言い渡しがすでにあったのではないかと直感しました。ご親族のお邪魔を今まで何度も繰り返したのですから、★まっと★は帰宅することにしました。『いつでもご連絡ください。』とお母様にお伝えして★まっと★は病院を後にしました。翌日、朝から看護学校でのお仕事。ちゃんとこなして、帰宅、そして自宅でのお仕事。

看護学校・・・名古屋の駅の近くにあるんです。朝から頭の中は栄のことで一杯。運転は気をつけていたつもりだし、もう少しで学校。学校に到着する最後の信号。信号機の上に街の名前の標識が・・・『さこう』。。。。漢字では『栄生』と書くんです。栄が生まれる・・・・・・前の晩に、栄が死と必死でたたかっている姿と対面したばかりなのに、、、、、、『栄生』っていう信号機をみただけで★まっと★は涙が出てきちゃったんです。そして、目を左にそむけたら大きな字で『名鉄 栄生駅』って書いてあるし、こんな看板見ただけで泣いてるなんて、周りの車の人たちから見たら変ですよね。

午後には★えりりん★が出勤してくれて、★ちゃかえ★のことを伝え、11月24日の仕事が終わっても、お母様からの連絡はありませんでした。
★まっと★は一日中泣いていたので、非常に疲れていました。この日はかなり早い時間に床についてしまったんです。そしてあけて11月25日午前5時に目が覚めて、いつものようにパソコンの前に座り、朝のレス。
午前5時57分、電話がなりました。『池田です。栄が永眠しました。今朝、12時55分のことでした。』
この電話ですべておわりました。悲しくて悲しくて。


親しい仲間たちに連絡をして、★まっと★は仕事の準備。朝から斎場にうかがってもお邪魔になるだけです。
それに、★ちゃかえ★が折角24時間以上がんばって、誰のお仕事にも邪魔にならないように、スケジュールを自分で作って逝ったのに、ここで仕事を休んで★ちゃかえ★の側に居てあげても、★ちゃかえ★は喜ばないと思ったので、★まっと★はしっかり身支度をして仕事に出かけました。
ありがたいことに試験監督。口を開き、話をする必要もないので仕事はちゃんとこなすことが出来ました。
まっすぐ自宅に戻り、斎場での通や、葬儀の時間を確認したりしながら夕方まで自宅で過ごしました。
そして、夕方5時半に通やの会場へ。

★カレン★は仕事でどうしても伺えませんでした。・・・というよりも、★カレン★は栄が絶対元気になって退院してくると信じていたので、誘っても絶対に病院にも一緒に来なかったんです。★カレン★は★ちゃかえ★が病気だと認めたくなかったのかもしれません。
斎場に到着すると、すぐにお母様が『栄と会ってやってください。』栄の顔の横にはベビーミッキーとベビーミニーのぬいぐるみ。『職場には絶対に復帰したかっただろうと思います。大好きな紺色。新しいスーツとワイシャツ、そして象さんの柄のネクタイに新しい靴を一緒に御棺に入れてあげたんですよ。』っておっしゃったとき、★まっと★の顔はもうぐちゃぐちゃでした。安らかに眠っている★ちゃかえ★。かわいそうでかわいそうで、、、、、、

早い時間に会場に到着したので、約一時間待ち、通やが開式。★えりりん★が間に合わないとの事で★えりりん★のご主人:★義仁くん★が来てくれました。通やを終えて、★カレン★のもとに帰宅。

食欲もあまりなかったので、外食で済ませることにしました。
★カレン★と歩いて近所の居酒屋へ。
生ビールを3杯たのみ、一杯は★まっと★、一杯は★カレン★そして、もう一杯は★ちゃかえ★。★ちゃかえ★はビールが大好きだったんです。あまり強くはないし、飲むとすぐに寝ちゃうんですけどね。三つのグラスで乾杯して★ちゃかえ★にご苦労様って言いました。2人で★ちゃかえ★との思い出話をたくさんして、2人で居酒屋さんで泣きながらビールを飲みました。
帰宅して、就寝。

2005年11月26日
朝、起きていつものように★まっとらんど★を開きレス。
11時の葬儀開式だったので、9時半に自宅を出発。
★カレン★はこれほど親しい★ちゃかえ★の死を、実際に顔を見るまで本当は認めたくなかったのだと思います。病院にもかたくなに行かなかった★カレン★。斎場に入り★ちゃかえ★の遺影を見るなり、★カレン★の目から本当にたくさんの涙が溢れていました。★ちゃかえ★のご両親にも初めて対面。ご両親、★ちゃかえ★のお兄様にご挨拶をしたら、お母様に『是非、栄にあってやってください。』と、★カレン★が言われ、祭壇へ。
★ちゃかえ★の顔を見て、★カレン★が『くるしかったんだよねぇ。』と一言。
2人とも涙がまたまた止まりませんでした。
★ちゃかえ★と一緒に映画によく出かけていた★まっと★のお友達★ひろぴょん★も駆けつけてくれて、★まっと★の一番弟子の★まりあ★ちゃんもかけつけてくれました。★ちゃかえ★の会社の方たち知人の皆さん、本当にたくさんの方たちが葬儀に参列されました。

お父様の『栄は34年間という短い人生でしたが、健康の大切さをメッセージとして皆様にお伝えしたと思います。』という内容の簡潔でありながらも素晴らしい喪主挨拶をされ、我々一同、★ちゃかえ★を見送りました。出棺前に★ちゃかえ★に参列者が献花。お母様が『さーちゃんのだいすきなビールだよ。ほら飲んで!』っておっしゃりながら、栄の顔の横にビールを注がれていました。★まっと★も★カレン★も★ちゃかえ★の顔に触れたかったけど・・本当に多くの皆さんでとても★ちゃかえ★の顔のところまでたどり着けなくて、お花を★ちゃかえ★の胸に置いてお別れしてきました。棺には★ちゃかえ★のタバコ、パーラメントが一杯でした。みなさんが★ちゃかえ★の好きなタバコをご存知だったんだねぇ。紳士的な商社ビジネスマンがたくさん参列していましたが、皆ためらうこともなく、嗚咽とともに泣いていらっしゃいました。閉式間際には『池田君ありがとう。』というおおきな声も聞こえてきました。あれだけのビジネスマンがそろって泣きじゃくり、別れを悲しんでいるのを★まっと★自身も泣きながら見ていて★ちゃかえ★が本当に立派なビジネスマンだったんだなって思わずにいられませんでした。

とてもスマートな霊柩車に棺は運びこまれ、一同は★ちゃかえ★におわかれしました。

本当に短い人生でしたが、一生懸命生きた★ちゃかえ★です。
冥福を祈るしか出来ない★まっと★です。

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病院での★ちゃかえ★・・・最初は元気でした・・・





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★ちゃかえ★の34回目の誕生日2005年7月15日
★まっと★が最後に撮影した画像です。

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クリスマスのディズニーランドが大好きな★ちゃかえ★でした。
いつも一緒にディズニーランドに出かけました。

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皆さんからメッセージを頂いています。

Fさん
本当に悲しいですね〜
私も何度も駅まで迎えに来てもらったり
オフ会の会場まで送ってもらったりしました。
まっとさんちの3階に住んでるって冗談を
真に受けたりもしました。
本当にやさしくてハンサムで好青年でした・・・
ご冥福をお祈りします。

Sさん
池田 栄様は、2001年冬、
福山先生御夫妻のコンサート会場から打上げパーティー会場のレストランまで
カッコイイ車で私を送ってくださった方なので、
男前のお顔や、車内で喋ったディズニーの事etc.
アレコレ思い出してショックでした。
池田 栄様の御冥福をお祈り申し上げます。m(._.)m

Kさん
読ませていただきました。
まだ34才、本当にご自身、ご両親、
そして★まっと★さんはじめ愛し、愛された方々。
悲しくて悔しくてたまらなかったと思います。
それがよくわかりました。
葬儀で確かに参列のビジネスマンがそれほど悲しまれることは
少ないと思います。
本当に皆さまに愛された方なのでしょうね。
神は愛される方を先に召されるといいますけれど
残された方々は……
本当にご冥福をお祈りします。

Tさん
さっそく★まっとらんど★開いて栄ちゃんページ見ました。
また泣けてきました・・(-。-)
写真見て、また泣けてきました。プリントアウトしちゃいました。
残しとかないと栄ちゃんの顔忘れちゃうと悲しいからね。
頭の中はランドで笑ってる栄ちゃんだから。
病院の顔よりも元気に笑ってる方がいいもんね(^0^)
★まっとらんど★に乗せてくれてありがとうございます。
これで心残りが解消出来ました。

Mさん
しんじられません。読みました。
ただただ、、、
若くして亡くなるのは本当に罪深いです。
こんなことが本当に現実なのか・・・
事実はホントに、ただ受け入れるしかないのかもしれませんね・・・。

Yさん
栄さんとはトレクレで一度会って打ち上げで飲んだだけだったけど、
いい友達になれる予感してただけに残念です。
彼のご冥福をお祈りします。

Yさん
栄さん・・笑顔でお話ししてくれたのに・・元気になってまたお会い出来ると信じていました。とても残念です・・。ご冥福をお祈り致します。

・・・・・・・・・

本当にたくさんのメッセージを頂きました。ここに書ききれないほどに・・・・
ありがとうございます。
きっと彼も天国ですべてのメッセージを読んでいると思います。
 


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